アニミズムに見る世界観

私は生まれた時から美術的な環境下で育って来た。
さまざまに表現される美術的と云われるものに包まれる中で、私自身の中に独自に惹きつけられるものが幾つか浮び上がって来るようになった。
基本、心象表現に属するものが、好きである。
昭和のバブル期、奇を衒ったように自己主張の激しいアートが数多く生まれた頃、私の心は自然と飛鳥天平文化の香りのするものに惹かれ、そのうちアニミズム文化の流れを感じさせるアフリカンアート、少数民族作品、プリミティブアートへと変遷を辿った。
アニミズムは、取りも直さず日本人のルーツ、その根底に在る「八百万の神々」日本の古神道そのものだ。
「山川草木悉皆成仏」を謳う仏教には、すべてのものに仏性が宿るとする仏教的思想がふんだんに盛り込まれている。

宗教が、信仰が、そんなに尊いのか?
思春期をミッションスクールで過ごした私の長年の疑問である。

自然界のあらゆるものに霊的存在を感じ取り、生きとし生けるものに畏敬の念を払いながら、特定の信仰スタイルは待たないままに世界中の地域文化に根差した信仰の姿は、自然界にアニマを感じ取ることの出来るピュアな感性から生み出され成り立っている。
唯一神によって、殺戮が繰り返される世界史を見る時、そんな宗教は「糞食らえ!!」と大声で叫びたくなる。

21世紀、平成が令和に変わろうが、イスラムの地下組織が世界に広がろうが、人類同士が殺しあって何の文明か⁉

現代文明は、圧倒的なスピード感で合理性を優先する科学文明の基に牽引されてきたように感じる。

しかし、精神性や感性を大切に考えるアニミズム的な世界観を欠落させたまま進み続ける時、人類は自らの手で
共存し、尊重し合って歩むべきはずの道の行く手を閉ざしてしまうような気がしてならない。

先人は、未開の地に暮らす少数民族は、決して幼稚で劣っているわけではない。
むしろ、驕り高ぶった近代社会に暮らす我々の方が、謙虚さを忘れ、破滅の道に突進しているのかも知れない。               HCC:馬屋原 眞美子

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