懐かしい時間、幸せを感じる空間

昨夜からの静かな雨 … 今朝は空気が少しヒンヤリしている。
静かな雨  静かな雨

不思議?な事がある。
買い物に出かけた先で声をかけられ驚いた。
急に駅のホームで懐かしい人に会ったりする。

。。。昨年暮れ頃からだろうか、懐かしい人たちからの連絡がよく届く。

幼かった頃、毎日のように遊んでいた人。
部活で必死に励まし合ってトレーニングした旧友。
学生寮の同室で、毎晩遅くまで語り合った人。
下宿生活、銭湯の行き帰りに近所の市場で買い出しした頃。
学生時代に一緒に旅行した人。
子育て最中に共に悩んで、泣いたり笑ったりしたママ友。

PTAで親しく真剣に学校運営活動をする中で、たくさん成長できたあの頃。
心理学・真理の探究・研鑽と切磋琢磨に明け暮れた熱い日々、あの時間。

その時々に私は本当にたくさんの素敵な人たちに囲まれていた。
素晴らしい縁のお陰で、私は今、こうしてここに立っている。

同級生だけに限らない。
年齢を超え、世代を超え、性別を超えて、
尚、今に繋がる人たち。

つい先日、何年か振りに再会のチャンスに恵まれた旧友たち。
懐かしい思い出と、現在に至る状況を屈託なく話す時間は、幸せを感じる暖かな空間だった。
それは、それぞれが、それぞれに、ここ迄いい時間を過ごしてきたことを
感じ合い、認め合える、本当に本当に素晴らしい時間だった。

「後、何回こうした時間を持てるのだろう。」と、その時友人も語っていた。
少しずつではあるが、今更のように「一期一会」の重みが伝わる。

私をこの世に送り出してくれた父も母ももういない。
かけがえのない豊かな家族と共に、
子供たち夫婦に囲まれ、日々成長する孫との時間を味わいながらも、
・・・今日、これ迄の・・・、
『「今」に到る「自分」』を作り上げるに関わってくれた多くの人たちには、
感謝の気持ちしかない。

私の中を通り過ぎた一つひとつの出来事は、何もかもが私の宝物。
たとえそれが裏切られ踏みにじられた出来事であったとしても、
傷つきボロボロにされ、クタクタに泣き寝入りした出来事であったとしても。
その何もかもを通り超えてこその今があるから。
あの時の何かが一つ違っていても、今の私は無いかも知れないから。

過ぎた時を懐かしく感じることの出来る自分は、本当に幸せ者だ。と、
・・・しみじみ…・・・そうかみ締めている。

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