個人とその個人が関わる組織
老熟とは、全体的な人間になることを示し、加齢と同義ではない。
個人的な問題としての「老い」を考える時、そこには同時にその個人が関わる組織、社会も同等に似通った問題を抱えることとなる。
老熟を意識することもなく、高齢化しただけの人間がしがみつき守ろうとする組織は、その組織そのものが、もはや熟成には向かわない。
あなたの関わる組織は、どうだろう?
日本の政治は、どうだろう?
閣僚の役職にしがみつき、明らかに高齢化しただけの組織に、変革の若々しい風は吹きこまない。
適切に成長せず、志を忘れ、足元の問題に知的に取り組まない組織は、変化し続ける時代性の中で、次世代に向けての前進的な取り組みが出来ず、崩壊するシステムを前に、まるである日突然『死』が訪れたかのように、ただただうろたえ、戸惑うことになるだろう。
自分のことはさておいて、上層部に老害のような人たちが陣取っています。
そうした職場で働くことは、いつも憂鬱です。
それでも老熟は個人の問題なので、その人自身がその気になってくれなければどのように働きかけていいのか悩ましいところです。
金融関連の職場に属しています
我々の世界では本当に人間が不要になってくるのでしょうか
AIが大手を振りキャッシュレス化が世界に浸透していく時代の流れ
そもそもお金ってなんでしょう
自分の存在さえ消えていきそうです