存在すること の いろいろ…

哲学の古い言葉の中に。。。

存在することは知覚されることである。
その存在、その在りよう、活力を感じるためには、
そのものは見られる必要がある。
と、言う言葉があります。
それはーーーーー

あなたの存在、あなたの人生、あなたの活力を知覚されるために、あなたは
何よりもまず、見られる必要があるということなのです。

あなたは何者かということを見られるときに、あなたは存在する。
あなたは見られる時、「存在」へと押し出される。
すると、あなたは自分の人生や自分の存在を感じることが出来るのである。
あなたが恥ずかしいために隠れるならば、あなたは存在しない。
隠れているだけでは、あなた自身にとっても存在しない。
あなたは透明になる。

と、言うものです。
これは、一面的な指摘かも知れませんが、真実を含んでいると私は考えます。

何がしかのきっかけで、既に現在引きこもってしまっている人だけではなく、
老いに向かう人たちの為にも、この言葉は届けたいものの一つです。

隠れてはいけません。
歳を重ねるたびにこそ、社会に出ていきましょう。
確かに生き抜いた自身の時間と人生を見てもらう必要があるのです。
尻込みし、引きこもり、言い訳をしてはいけません。
たとえ髪が灰色になってしまっても、腰が曲がり、しわが増え、足取りが重くなっても、自分が何者かということを周囲の人に見てもらいながら、老熟への道を共に歩いて行きましょう。

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