体験・思い出・記憶・トラウマ…「備蓄力」

いつの時にも私たちはそれぞれが其々の体験をし、それは思い出となり各自の記憶に刻まれ、各人のアイデンティティの形成に影響を与え、その人だけの歴史となる。
WHOはこの度の新型肺炎の拡散状況を鑑みて、「パンデミックの可能性あり」とし、警戒レベルを引き上げた。

私の実家でも大きな美術展覧会、美術特別展など、東京・大阪などでの各イベントに向けて準備を進めて来ていた。
本来なら、今日はそのイベントの真っ最中のはずだったが、政府サイドの緊急指示を受けて開始突然の2日前に中止を決定した。イベントに向けて長らく準備してきた多くの事々やモノたちは日の目を見ることなく閉じ込められた。ご案内を出していた顧客の方々に向けては、中止の連絡に終始した。
それに掛かった経費は、恐らく当然のように返っては来ない。

受験、卒業、修学、進級、等々…、
節目に当たった子供たちもその背景に関わる人たちも、
これまでにない初めての体験に様々な想いを抱える。

ヒルマンは言いました————
トラウマとは自己の歴史の単なる事実ではなく、イメージだ と。
イメージに置き換えられたトラウマは、私たちと共にとどまり、
そのイメージこそが私たちの抱える
重荷となり、
私たちの希望を取り去ってしまうのだ 
と。

私が心理学を学び始めた当初、私の恩師は「我々が生きている人生の道程は、イメージの連続の中を歩んで行くに過ぎません。記憶はイメージとして自分の一部に取り込まれ、自分を作り上げるのです。」と、話してくれました。

これまでとこれからの間にある
人生のすべての瞬間が自己を構成しているが、
それは現在の要素であると同時に記憶でもある。

・・・という言葉は、味わい深く伝わってきます。

恐れすぎてはなりません。
過剰な情報やデマに混乱させられてはなりません。
かと言って、見くびってもなりません。

可能な限り正確な知識を得ること。
そこから適切な対応策を考え出し、自分としての適切な対応を試みる時、体験した出来事は自分史の中で「我が身の自信の肥料」として蓄積されて行くことでしょう。
私たちの体験は、このようにして各自の人生の一部として自身の中に重ねられ、発酵を続けながら成熟した人格に向けての一助になるのではないかと考えています。

何より、これこそが自分の身に宿す最強の「備蓄力」に他ならないのではないでしょうか。

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