存在するものの意思を探る

様々な分野で、徐々に封鎖状態が解除されつつある今も、
重苦しい時間は繰り返されています。

今、起こっている事は、明らかに世界史に刻まれる人類史の一大事です。
私たちと同じく地球上に生み出されたコロナウィルスも、
素粒子の波長同通の原理から見れば、
彼らもまた生き延びる為に変容しながら人体を住処としているに過ぎないのです。

自身が生き延びる為には、住処を滅亡させてはウィルス自体が生き続けられません。
そうした考えに則れば、恐らく彼らもまた緩やかに拡散していくと考えられます。
急激な拡散、住処とする人間の高い致死率となれば、
何よりも彼ら事態が生き延びれないからです。
…と言う事は、共存の道が見つかるまで、このせめぎ合いが長引くことを示しています。

私は私の身体の中に癌細胞を生み出しました。
昨年の暮れ見つけ出せた癌細胞は外科手術によって摘出されましたが、
癌サバイバーである私の身体は、今日も共同体として生きています。

癌が発症する前も、術後も、私は私としてここにいます。

コロナウィルスが広がる前も、今もこれからも、時間はただ刻々と流れるのみです。

何が違うのか? 何が変わってしまったのか?
それは確かな物証もありますが、殆ど多くは、各自の認識受け止め方です。
この地球は、あらゆる命を育む大地です。
自分にとって都合が良くてもそうでなくても、
それぞれは何がしかの意思を持って存在しています。
そこで共存、共生していく生き方を見出すことが
知恵を持つ私たち人間の仕事です。
今をこうして生きている事実こそが確かな今日であり、
明日に続く今日でもあるわけです。
自分の中にある様々な感情も、自分が嫌いなあの人も、
排除するのではなく、無いことにして単に抑圧するのでもなく、
その存在を内に引き込み、自身で内観対話してこそ獲得できる深い気づきが、
人生の旅路における自己成長には欠かせない一貫した作業であろうと考えています。

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