支柱を育むために
「雑な生き方をしない」と言う事に通じると、常々考えている私は、
時間の使い方として、仕事・スケジュールをあまり詰め込まないように努めていました。
その結果として、こまごまとした各所の丁寧さを欠いていた事に気づきました。
6月24日投稿のコミュニティに対して頂いていましたお問い合わせに
全く気付かづに今日まで来た事を、お詫びして、
この場をお借りして、返信コミュニティとさせていただきます。
有資格者のカウンセラーにとって重要視されることは、
クライアントである他者への眼差しとしての有資格者自身の在り様ではないかと考えています。
クライアントに役立つカウンセリングは、決してテクニックや資格の有無ではありません。
1995年から25年間継続させて来た「実力あるカウンセラー育成講座」は、
カウンセラー自身の自己探究・自己研鑽の場として、カウンセラーのために展開させてきました。
多様に存在する各諸理論やアプローチを習得することは当然ながら、
それらを臨床の事例検討で学術的な比較検討するに留めただけでは、
血の通った生々しいクライアントと作り上げる生きたカウンセリングはできません。
カウンセラー自身が内に備えたメタスキルによって、全く異なった姿形を呈してくるのです。
今年はコロナ禍と言う事もあり、
セミナーによっては急遽中断をさせていただいたものもあります。
選び抜いた書籍を中心に、より成熟していくための糧として
『自分の支柱を育くむ』ことを目的とした時間を設けています。
これは、資格の有無を問わず、どなたでも参加していただくことが可能です。
もう少し、世の中が穏やかさを取り戻したら、「育成講座」のような形で
学びの場をご用意したいと願っています。
無意識を見る2種のスタンス
日常の多くの場面で私たちは無意識のことは殆ど意識していません。
もっとも、意識していないからこそ無意識と言うわけですが。
しかしながら実際には、無意識は私たちの知らないところで色々な働きかけをしています。
私たちは普段、あたかも自分で考え、自分で判断し、取捨選択しながら暮らしていると、
当然のように思いこんでいるかも知れません。
フロイトの精神分析、その流れを受けたTAの分析を軸に、個人的無意識に焦点を当てて
カウンセリングを進めるゲシュタルト療法では、「現在、今ここ」に生じる問題の根っこを
その個人の成育歴に抱える未完了な課題として、主には幼時・学童・思春期体験の中に探ります。
これに対して、ユングの掲げる集合的無意識では元型という考え方を用いてそれを見ようとします。
同じ無意識を扱うにしても、
フロイトが、結果として生じている現在の問題から遡って原因を探ろうとするアプローチと、
ユング的考え方の、「現在の問題の中に目的を探る」スタンスは、
一口に扱う無意識と言えども、似て非なるものがあります。
すなわち、
過去のどのような積み残し課題が、今の状態を引き起こしたのかというフロイトと、
今のこの問題はどんな目的を持っているのか、心は何処へ向かおうとしているのか、
という点に注目するユング。
どちらが優れているとか、劣っているとか、
どちらが正解かなんてことではありません。
ただ、無意識には、ザックリ大きく分けても
「今」立っている自分自身の状況下に
フロイトの因果論的考え方とユングの目的論的視座の
2種類のスタンスがあるということです。
いずれにしても、
行動化する自分の行為は、何がしかの無意識のエネルギーに影響を受けていることは確かです。
「無意識」について学ぶことは、より成熟した人間に向かうにあたっては、
非常に奥深いテーマとして、
何より、人生を豊潤に生きて行こうとする上においては、重要なことだろうと考えています。
One thought on “無意識を見る2種のスタンス”
先生、ご無沙汰しています。
先生の今日のブログをとても興味深く読ませていただきました。
私は先生が仰るように、人生を豊潤に生きていきたいと願っています。
そしてそのための学びはずっと続いていくものだと思っています。
育成講座でそういったことをテーマに開催される予定はありますか?
先生、こんにちは。
ここ数日間不安定なお天気が続いていますが、とにかく毎日暑いです‼︎
先生、体調はお変わりありませんか⁇
さて、先日は私の質問にお応えくださり、
本当にありがとうございました。
とてもうれしかったです(^^)
近い将来、また学びの場が再開されますことを期待しています。
いつもありがとうございます♡