冷静な思考力を育みませんか
コロナ禍で、物理的に分断される人間の在り様が目に映る2020の夏。
私たち人間は凄まじい働きをする「脳」を与えられ、思考力を開発してきた。
吐き出したいほど、耳を覆いたいほど溢れ来る情報は、どのように生かされる時、役立つのか。
事あるごとのガセも含めた情報は、一喜一憂、右往左往して大衆を混乱させる。
知恵を持たなければならない。
単なる知識の詰込みや、流行りの情報量の聞きかじりは、邪魔にこそなれ知恵には育たない。
自己探究の一つとして、現在の自分をありのままに受け止めるためには、
単に「今、ここ」だけでは叶わないこともある。
そもそも、
時間認識は「消え去った過去」と「到来していない未来」を自分の中に引き受けることであり、
過去の行為や考え方を含めた、生きざまの結果として「今の自分」を受け止めることから始まる。
未来の自分は今の自分の行動の結果を引き受けない限り望む変容には至れない。
知恵を育み、背骨の通った自身の幹をしっかりと打ち立てたいものである。
「今さえよければ、いい。」
「自分さえよければ、それでいい。」
訳のわからぬ情報に振り回されて、買いだめをする。買占めをする。悪事が進めば転売もする。
哀れで嘆かわしい姿、近代社会と謳われる烏合の社会光景だ。
利己的で近視眼的なものの見方をする人々が増殖する社会を“サル化”と定義した思想家がいる。
彼は、人類が「猿化」していると訴える。
“サル化”というのは「今さえよければそれでいい」という発想をすることで、
目の前の出来事について、その背景の文脈と、今後どう変化するのかを広い時間軸の中で
観察・分析する習慣を持たない人たちのことを“サル”と呼ぶと言う。
目の前に散乱する断片的な情報から思考力を活かし、知恵を用いて、いくつかの状況を探る。
この論理的思考力とも呼べる冷静さを、今の日本では、政治屋を筆頭に、
官僚もメディアも急激に失い、人間そのものが劣化し始めているように感じる。
論理的にものを考える力そのものが急速に衰えた。
早いがお得とばかりに、スピードアップ、効率重視、
こうした社会の中で何時しか人間の内側の時間認識を司る
「時間」感覚を縮減させ、冷静な知恵に基づく「思考力」を奪った。
ごく限定的な時間軸でしか考えられない人間
(自分さえ、今さえ、他者評価を過剰に気にする)と、
悠久から続く時間の流れの今に存在する自分を、広大な時間意識をもって受け止められる人間かどうか。
この違いは、とてつもなく大きい。
*思考・想像・妄想・これらは似て非なるものです。
*妄想の中にも、自分を解放し豊かに楽しませてくれるものもあります。
文に書く、講義や講演で語り伝えることは、非常に危険度の高いことだと常々承知しています。
それらは、多くの場面で、受け手・キャッチする側の能力に左右され、受け手に委ねられてしまうからです。
それでも、誤解を恐れずに、私なりの考え方や・希望・現況など、これからも気ままに発信していきます。