「守り方」それでいいの⁈

21世紀の今、「社会はカオスの中」に在る。
巡り来た21世紀は、カオスの時代だったのか?
自然環境は歪に変化し、それに伴うかのように自然災害は後を絶たない。
地球上のありとあらゆる国々、国内外で、国家間で、民族間で、

行き過ぎる自己防衛は強まり、対立・分断は深まるばかり。

集団においては、成熟したリーダーがおらず、
集団の各人が自由と称して、それぞれ自己主張好き勝手に振る舞う
混乱無秩序というよりも乱痴気騒ぎ的な行動が色濃く見受けられる。
コロナ禍で顕著になった人間性の隠されていた見えなかった部分。
覗き見だけ。盗み聞きばかり。自分の事は明かさない。
匿名で生きる生き方。
SNSに翻弄され、人知れず抹殺されていく人たち。

昨今、
「法が正しく機能していないのではないか」という疑念の沸くことが多い。

民主主義社会に立脚していると思っている私たち一人一人は、
心のどこかで祈っている。
公正的なものによって裁かれ、報われ感の安堵感に包まれることを。
しかし、
さかのぼれば、
幼少期、学童時期、非力な子供たちは、
頼りの綱とも思える教師や親たちに、
現場の状況をきちんと見極めて欲しいと切望するにもかかわらず、
その場に居合わす大人のありように不信感と失望感を抱いてしまう。

そしてその子供たちは、モヤモヤ感を払拭出来ないまま、
留まることなく時間の流れの中でいつの日か成人し、大人になる。
迎え入れられた大人の世界は、更に不公平感、不平等感に覆われている。

自分の損得に敏感であり過ぎる余り、大事なことも見て見ぬふり。
何が何でも自分のポジションを守り抜きたいから。
組織内でしかるべき地位を得たい人にとってスルースキルは悪魔の囁きとなる。
企業や官庁など自分が所属する組織文化、風土、特有の価値観、
狭義の集団しか見えていない人にとってはなおさらのこと。

池袋暴走事件で露骨に映し出された上級国民(?)のあの態度。
上級国民って何だ ?!? そんなもン…、知りませんけど。。。

私たちが、あの映像を不気味に感じ取ったのは、
多くの一般的な人々の眼に異様な光景として映った
あの特殊世界の背景にあったであろうと想像できる、
現代社会の嘘や不正が公然とまかり通る「法の機能不全」に陥っている可能性と、
それがむしろ新しい規範として定着しつつあることへの危機意識だと思われる。

犯罪者が特権的な地位を利用して、一般人から見て明らかな罪を逃れる。

政界の見苦しいまでの隠ぺい行為も、
元法務大臣河井夫妻の悪質な金脈政治も、
政治屋となって得た肩書、権力を恥ずかしげもなく語っての威嚇行為も、
セキュリティの合間を縫って終わることのない詐欺行為も。

私たちは何を拠りどころに真面目な生活を送れば希望が見出せるのだろう。

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