「ことば」について(1)

人生は「ことば」に彩られている。
「ことば」によりて励まされ「ことば」によりて失望する。

体験は「ことば」を借りて記憶に留められ、
「ことば」によりて思考を巡らせ、「ことば」によりて語り継がれる。

人間にとって「ことば」は人生に深くかかわっている。
にも拘らず「ことば」について、その重みを殆ど意識していない。

心理学に関する有資格者を中心に開設した
「実力あるカウンセラー育成講座」に於いては、
カウンセラー自身が、
自らのコンティナ―を育てていくことを目指し、
「自身の自己に出会う旅」として、
「自己探究」に25年間の時間をかけて注力してきた。

人生における「自己探究」は、果てしなく続く旅であり、随所に感動と感激が用意されている。
それは何もカウンセラーやセラピストの為の特別な学びではない。

あらゆる学び合いの場面では、「ことば」が理解できると言う
基本的に存在者として「人間」に属する種…としての共通項が在ることを
大前提として「ことば」の力は、左右してくる。

人間に許された「ことば」。
人間が獲得した「ことば」。
「ことば」を持つ人間が交流の中で作り出す摩訶不思議な世界は、
まさしく「ことば」よって独自性のある世界観をその空間に生み出す。

音によって、文字によって、暗号によって、私たちは遠隔地であろうと、
時代を超えようと、人種、性別、文化を超えても「ことば」を持つ種として、
学び合い、影響し合い、本質的な理解に近づいていける。

一方で、
紡ぎ出される人の言葉が、どれ程の意味空間を持っているのか?
その一言一言にどれ程の意図と深みがあるのかを理解することは、
安易ではない。
その人の「ことば」の重みや意味の深さを捉えるために、
その人の背景に思いを巡らせることは重要な手掛かりとなる。

「傾聴」は「傾聴力」その一端を担う。
追体験し、共感的交流を基本から離すことなく
「ことば」に命を持たせて広がる関係性は、相互の理解を「本質」に近づけ、
シンプルなものとなっていくことを目指す道程に他ならないからである。

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