「ことば」についてのテーマの中で、
今回は詩人の「ことば」の扱い方から学ぶことが、
新たな角度から「ことば」の持つ意味を深く考察していく
手がかりになるのではないかと考え、一つの詩をお届けします。
近代日本の代表的な詩人のお一人、高村光太郎氏の「牛」と言う詩です。
「牛ハノロノロト歩ク」から始まるこの詩は、歩みは遅くとも着実に進んでゆく牛の姿を、
更に牛そのものに視点を移し全体的に観察し、見ることを通して「ことば」にしています。
詩人高村光太郎が、この作品に自分自身の憧れや生き方を重ねたかどうかは分かりませんが、
本来は長大なこの詩の一節を抜粋してご紹介します。
===『高村光太郎 詩集』より===
牛はのろのろと歩く
牛は野でも山でも道でも川でも
自分の行きたいところへは まっすぐに行く
牛はただでは飛ばない、ただでは躍らない
がちり、がちりと
牛は砂を掘り土を掘り石をはねとばし
やっぱり牛はのろのろと歩く
牛は急ぐ事をしない
牛は力一ぱいに地面を頼って行く
自分を載せてゐる自然の力を信じきって行く
ひと足、ひと足、牛は自分の道を味はって行く
ふみ出す足は必然だ
うはの空の事ではない
是でも非でも
出さないでは堪らない足を出す
・・・・・・・
そしてやっぱり牛はのろのろと歩く
牛はがむしゃらではない
けれどもかなりがむしゃらだ
・・・・・・・
・・・見よ 牛の眼は叡智にかがやく
その眼は自然の形と魂を一緒に見抜く
形のおもちゃを喜ばない
魂の影に魅せられない
うるほいのあるやさしい牛の眼
まつ毛の長い黒眼がちの牛の眼
永遠を日常によび生かす牛の眼
牛の眼は聖者の眼だ
牛は自然をその通りにぢっと見る
見つめる
きょろきょろときょろつかない・・・
・・・・・・・
牛が自然を見る事は牛が自分を見る事だ
外を見ると一緒に内が見え
内を見ると一緒に外が見える
それでもやっぱり牛はのろのろと歩く
何処までも歩く
・・・・・・・
牛はのろのろと歩く
牛は大地をふみしめて歩く
牛は平凡な大地を歩く
高村氏の観察眼、ただそのままにそのものを見つめる眼差し、
在るがままを、そのままを丸ごと見ぬく力、
それを通して表現された「牛」の詩の中に、
人間に対する人間としての在り方の
理想が見える気がするのは私だけではないはずです。
この詩の「ことば」を自分自身に置き換えてみる時、
周囲に振り回されることなく、ただただ愚直に生きる生き方の中に、
自分らしく生きていくための大事な秘策が見えてきませんか。
本来「ことば」は優しさの内に力強さを秘めたものです。
それは、その「ことば」になる手前での発信者の観察眼「見る力」、
本質を見抜く力が在ってこそではないかと今のところは考えています。