「ことば」の前に在る「思考」について
世に存在するあらゆるものは表裏一体、功罪両面を持ち合わせている。
「思考」も当然ながら例外ではない。
物質的・外的世界における科学技術の躍進に「思考」の果たした功績は大きい。
知識と経験、研究研鑽を積み重ねる人間力は科学進歩に多大な成果を上げている。
一方、
人間に備わっている内的世界、心理的世界において「思考」は、
どのような働きをしてきたのだろう。
永い人類史の中で、内面に働く「思考」は、科学技術に注がれるほどの
エネルギーをどれだけ向けられて来たのだろうか。
言葉や行為に到る前に存在する「思考」。
「思考」=「考え方」そのものが、
一体何をもたらすのかについて
私たちは今一度、
自らの内に向けて問うていきたい。
人と人の分断を生む原因の多くは「思考」にある。
「思考」は、人類の為に役立つ多くのものを生み出してきた一方で、
何千年もの間、世界規模での破壊や憎しみを引き起こしてきた事実を
私たちは忘れてはならない。
今、目に見えない未知なるウィルスによって引き起こされる多くの
誹謗中傷、不要な差別、過剰な攻撃性は、そのいずれもが、
「思考」から発生している。
偏りを持った独自の「思考」は、人を死に追い詰め
殺人鬼に到る程のパワーさえ持ってしまう。
葛藤している自分は「自分自身が作り出している」ことに気づく力。。。
そもそも人は誰もが、
自分自身の感情の面倒を見ることが出来る力を備えている。
自分の体験や行動の記憶を無いことにしたり、
誤魔化したりする傾向があるけれど、
反面、その上で、人はそのことに気づき、
それを修正することが出来る力を持っている。
自分の中に在る感情・感覚、それらの側面に気づける力を持っている。
その根底として、その力を確かなものとして身に付けるために、
冷静で豊潤な「思考力」を育てる必要性がある。