実践してこそ
何のために学ぶのか。
知識を詰め込んだ先に、それを何処でどのように生かすのか。
料理教室に何十回何年も通い、レシピメモを丁寧に書き込んだとしても、
実際に一度も料理をしない人が居るとしたら。。。
その人は料理上手になれるのだろうか。。。
教室に通うこと自体が楽しくて、そこで教室の人たちと食事するのが目的ならば、
それはそれで、一つの目標は達成できているのかもしれない。が。
少し前、「資格オタク」と呼ばれる人たちが溢れている時代があり、
資格発行をうたって事業展開する業者が多く見受けられた時期がある。
短絡的に手にした資格を持って、その後、その人達は今、どうしているのだろう。
一方で、
真面目に丁寧に学習を続ける人たちの姿の中に、
知識を思考だけで理解しようとする人が多いとも感じている。
「学び」は永遠であり、
水平線状に伸びるだけでなく、垂直軸には深く高く広遠である。
座学での研修に意味がないとは言わないが、
座学研修ばかりを何十年も続けている人にもまた、
それなりの偏りが見られるのは確かである。
難解な内容の書籍を、体験なく思考だけで理解しようとする時、
そこには限界が見られ、腑に落ちる納得感としては無理が生じてくる。
それよりも、
実践を積み、時に失敗をしたとして実質的に行動化させ、
仕事や実生活に活かして生きている人は、理解の度合いが違う。
それは、質問の内容レベルで伝わってくる。
兎に角、
インプットだけではその「知識」は命を持ちにくいということが言いたい。
アウトプットしてこそ、得た「知識」は、初めて命を持ち、社会に還元され、
循環し、再び生きた学びの力として自らに戻ってくるのだはないかと考えている。
お金はね、
儲けて蓄えて「貯金」ばかりしてたんじゃ、自分もハッピーじゃないけど、
社会にも回っていかないんですよ。
浪費せよと言ってる訳じゃないですよ。
インプットとアウトプットのバランスのお話です。
「実力」は「実践」してこそ身につくのではないでしょうか。