何もかもが変わっていく
「諸行無常」…、。。。・・・・・。
何もかもが変わってしまう。
その昔、私は時に雨音が好きだったことがある。
静かな雨は木立を優しく包むように、空気を清めて洗い流すように、
シトシト…シトシト…、その雨音は私に、心を穏やかに過ごす時間を与えてくれた。
いつの頃からだろうか、小雨や夕立、狐の嫁入りなんて言う優しい雨が遠のいた。
ゲリラ豪雨、ゲリラ雷雨、何て呼ばれる激しい雨が降り始めた。
さらにまた、線状降水帯と言う避けるに避けられない長雨。
土砂崩れ、土石流は、何処の地域に居ても遭遇しうる。
何年かに一度の危険な雨は、毎年起こり、一年の内に何度も繰り返される。
今となっては、私たちの生活を根こそぎ奪い取る恐怖の対象になりつつある雨。
雨量も降り方も、何もかもが変わってしまった。
それでも地球は回っていて、一日はほぼ同じ時間帯で流れているのに。
地球上に生かされている人間に対して、
今、何が何処へ向うことを促しているのだろう。
何もかもが変わってしまう時、経験は経験として生かされることなく、
時によっては、事によっては、経験が邪魔にさえなることもある。
つい先頃の大雨の際も、90代高齢者が、洪水警報の報道喚起を聞き流し、
「大丈夫。生まれた時からずっとここに住んでるんだ。何十年もここで災害は起きてない。
ここは安全な所なんだから。避難するなら、お前たちだけで行け。私はここに残る。」
と、言い続けていたが、
小学生のひ孫が言った「おじいちゃん、行こう‼何か変な音がするし、匂いも違うし。」
「絶対逃げた方がいいから!」と。
高齢男性は、避難場所のインタビューに答えて言っていた、
「あの時このひ孫に手を引かれて避難してなかったら、と思うとゾッとします。」と。
身体で覚えた体験や経験でさえ、今となっては参考になるどころか邪魔になるのだとしたら、
私たちは、もっと根本的な視点で、
生活の在りようとしての生き方を考え直さなければならない時に居合わせている気がする。