いよいよ明日に迫った安倍元首相の国葬に対して
国民の意思表示が二分化しているとも感じられるこの現状こそが、
安倍さんの政治家として過ごした姿勢・在りようを象徴しているように見受けられます。
安倍に忖度する中で進められた長期安倍政権は、
日本の国国民意識に大きな分断を作り出しました。
何だかんだ言っても、詰まるところ人は、誰もが、今を生きているのです。
それぞれは、それぞれの立ち位置で息をし、食べて、寝て、その人にとって
たった一回きりの引き返せない巻き戻せない人生の時間軸を生きているのです。
あらゆることは多面的側面を持ちますから、安倍さんのことをよく言う人もいるでしょう。
利権に群がり、オイシイ思いをした人たちにとって、彼は親しみやすく優しい人だったと言います。
まして、
今や死者となった故人に対しての批判的な発言は日本人の倫理観からしてもどうなのか?
とさえ言われ、批判的な声を収めようとする節も随所にあります。
しかし、そもそもの彼の根底には、
「敵」か?「味方」か?の二元論的的思考が強かったように私は感じ取っていました。
民主党政権から譲り受ける折に、
野田元首相と議員定数を減らす事を何度も念押しして、国民の前で約束しました。
覚えている国民はたくさんいますよ! 安倍さん。
。。。にも拘らず、議員数はその後も増えています。
議席数の為に
韓国発祥の闇集団旧統一教会の支援を仰いで迄、
顔の売れた芸能人なら、
ずぶの素人でも、国政に対する志のない人までも
担ぎ出しました。
出所を明瞭にできない多額の資金を選挙につぎ込んで、
広島県政は、賄賂政権汚職腐敗の土壌にされました。
自分が「敵」と見定めた者には徹底的な攻撃をはばからなかった安倍元首相は、
全国放送される国会中継の中でも民主党政権を「悪夢」だったと繰り返し発言していました。
あまりな言葉に言撤回を求められると「私にも言論の自由はある」と拒否したり、
街灯演説では「こんな人たちに負けるわけにはいかないんです」と
同じ国民であるにもかかわらず、野党支持者に対して平気で罵声を浴びせていました。
あの時の光景は、多くの日本人の脳裏に今も残っているはずです。
自民党内や官僚組織内の身内に向けてでさえも、自分に逆らう者は人事で徹底的に干し上げ、
安倍政権を批判する自由闊達な議論は封じられ、当時年間流行語にまでなった「忖度」は、
他でもない自民党内部・官僚組織の中で生まれた言葉でした。
公表されないままに自殺に追いやられた数々の命。
踏みつぶされたそれぞれの尊厳。
息を引き取る瞬間、優秀であったが故に切り捨てられた官僚の人たちの内に、
一体何がよぎるのでしょうか。
安倍政権は、パワハラ、モラハラの極致を行く、完全なブラック企業でした。
多様性に目を向けようとする姿勢はいささかも感じられず、
同国民であり、仮にも国政に努めようとする議員同士に向けてまでも、
露骨に敵意を露わにしたあの姿は、
首相としての立場をわきまえない過度な表現だったと考えます
感情論ではなく、冷静に客観的に議論してください。と、メディアは呼びかけます。
国のトップが感情論の塊の中で右往左往した挙句、腐敗した長期政権が続きました。
その腐りかけた温床は、確実に今を生きる若者から高齢者の記憶の中で発酵を続けています。
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考えて考えて、思慮深く在ろうとしても、最終的に人間を行動化に促すものは「感情」です。
「感情」の持つエネルギーの大きさを舐めてはいけません。
長きに渡り「我慢すること」「耐えること」…「抑圧」を続けて生きることには限界があるのです。
私たち心理カウンセラーは、行動の背景に沈ませている感情を読み取ろうとします。
表面上の「ことば」や「態度」で、取り繕っても、
真実となる背景は「今、ここの行動・表現(非言語)」に読み取れるからです。
勘違いした特権階級意識、勝ち組意識、マウントとっての上から目線。
‼! 違いますよ! その意識。
誰もが皆生きているのです。
誰もが自分のたった一つの命と人生の中で何とか幸せ感じたいと願っているのです。
もたもた感の否めない岸田首相ですが、視点を変えてみるならば、
本当は彼だって、安倍さんの犠牲者かも知れません。
長期悪政権の尻拭いは、誰がやっても安易ではなさそうです。
純粋清らかな水の中にも、一滴の毒水が注がれてしまうと、
元に戻すには、相当の時間が必要となりますものね。
国葬参列の方々にコロナ感染防止に向けての「マスク」
「あべのマスク」を活用しては如何でしょうか???…とは、
さすがに若干不謹慎でしょうか。