もしも~たら、~れば…は、ないと言うけれど

行きつ戻りつの寒暖差の中でも、春は着々と近づいています。

ロシアがと言うよりはプーチンがウクライナ侵攻を開始してから
明日24日で丸々一年になります。
首都キーウ攻略で、短期戦勝利というシナリオを描いてはみたものの、
そんな短絡的なもくろみは、いとも簡単に覆されました。

以前、
「プーチンは日本が好きで、と言うよりは、日本の武道が好きで
日本武道の愛好家、武道精神を理解している。」などと言われていたことを
思い出します。

もしも、プーチンが武道を形ではなく、
古武道精神の何たるか、その神髄を探究していたなら、
「独り」内に向かって「内観」を体験していてくれたなら、
今のような悲劇は起こっていなかったであろうと考えると、
心の底から残念に感じられてなりません。

もしも~だったら…、もしも~していたなら…、~していれば…。
タラレバは無いと言いますが、
せめて、自分自身に対しては、自らの内に「内観」の時を持ちたいものです。

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