「自分」を支えるもの
ヒトは気づかぬままにも自分の内に自分を支えるものを抱いています。
それは時に「夢」「希望」「志」「使命感」。。。
その根源あるものは、それぞれの「価値観」「信念」「信じるもの」。。。
しかし、同時に多くの人は「自分」を支えるものを持ち得ず、
自分を支えるものを自分の外に求めることは珍しくありません。
それは何らかの集団であったり、グループ、組織であったりします。
誰かと繋がっていたい。 分かり合える人と共に居たい。
こうした純粋な願いの隙間にある時…隙入ってくるものがあります。
「カルト」です。
スピリチュアルを商品化し、物販化し、金儲けに繋げようとする者たちです。
宗教を否定しているわけではありません。
「信仰」は、人間の心の拠り所として、多くの人々を支えて来た歴史もあります。
一方で、頑なな信仰は、数々の衝突を生み、
閉鎖的な信仰の在りようが内紛や戦争を起こし、
「自分」を支えるものが、他者を排除し他者を攻撃します。
これって、一体何なんでしょうね。
安倍さん襲撃を契機に、宗教と政治の癒着不信が明るみになりました。
国家国民の生活を衰退させ続ける国政の劣化現状は、
国政を預かる者たちが、公人となり政権に身を置いて後、
「何」を支えとして自らの仕事に使命感を持っているのかは見えにくい限りです。
外にばかり目を向けていると、本当に自分のことが見えにくくなるのです。
他者の評価、他者の目、ゴミのような腐った情報の山。
数字やお金や肩書が支えになるのは、ホンの一部でしかありません。
「自分」を支えるものは、自分の外側ではなく、
「自分」の内側にこそ打ち立てなければなりません。
「自分」を支えるものをしなやかに育みつつ、
外に向かって寛容に手を携えて生きて行く。。。
。。。。。そんな生き方が出来る事を願っています。