ノートル・ダム大聖堂…胸が痛い
当たり前って…、本当にないのだと、今日もまた思い知らされました。
喉の奥が詰まり、心が苦しい熱さを感じ、胸が痛みます。
何度訪れたことでしょう。
パリに行く度に、何度も何度も、そこに在ることが当たり前のようにノートル・ダムの大聖堂を見上げていました。なかでもクリスマス・イブに訪れる大聖堂は特別な威厳を放っていました。
そこは、いつも祈りの場でした。
そこを通る時、
全身を包みこみ受け入れられるようなあの何とも言えない荘厳な静寂さを感じていたのは私だけではないでしょう。
伝統と文化の息づくパリは、200年もの時間をかけて建造されたこのノートル・ダム寺院と豊かに流れるセーヌの河の恵みを愛し守ろうとしたフランス人たちの結集によるのものです。
決して一朝一夕で出来上がったものではありません。
今、嫁のジュリは、出産のためにフランスのパリ郊外の実家に帰っています。
来月5月末には息子もまたフランスに向かいます。
私たち家族にとって、フランスはとても身近です。
美しいけれど決して大きくないパリの街は、歩いて回るに十分な成熟した街です。
お馴染みの凱旋門からシャンゼリゼ通りを真っ直ぐ抜け、コンコルド広場。
セーヌ川を挟んでエッフェル塔、ルーブル美術館、オルセー美術館、パリ市庁舎、その先にノートルダム寺院が、悠然とそびえ立っていたのです。
パリの家族からも悲痛な想いの声で、この度の大聖堂火災についての話をしました。
ここ最近、パリは何かと騒がしかった気がします。 テロ、暴動、デモ、、、、。
天災にしても、人災にしても、失う時は本当に一瞬です。
当たり前に在り続けられるものなんて、この世には何一つありません。
大切に、大事に、扱い守り、愛しんで生きて行きたいとしみじみ心に誓っている私です。