平成時代の大晦日に寄せて
おはようございます。
いよいよ今日をもって「平成」元号の時代に幕が引かれます。
メディアからは繰り返される波のように平成時代についての様々な歴史的瞬間が放映されます。
平成天皇・皇后のご公務を含めての人となり、「象徴」の在りようを模索しながらもブレない「考え方」の基に貫かれた生き様こそを、私たちは、自らの内に問い直し、自分自身の生き方に反映させなければならないのでしょう。
せっかくいただいた30年を振り返る一つの区切りの時間です。
あなたの平成は、今のあなたに続く”何を”培いましたか。
私の平成の根幹は正しく“子育て”でした。
二十歳代、新米で未熟な“母”となった私を子供たちが育ててくれたように感じています。
慣れない仕事と、環境。
途切れることのない日々の家事と大家族(当時15人世帯)の間における複雑な関係性の中で、精神的に未熟だった私は、時に入院が必要な程の耐え難いストレスとして押し潰されたこともありました。
『子育ては己育て』に他ならないと身体に覚え、今となってはお招きいただく教育関係の講演会場で、それに基づくお話もさせて頂いています。
子育ては、部下の育成、人材育成と別物ではありません。
本気で、本腰を入れて「子育て」をする時、それは、将来社会にお返しする「人間」を預かり送り出す手前の大切でかけがえのない仕事であることを実感します。
天皇という宿命は、一般人には想像できない息苦しさを伴うようにお見受けしました。
私たちは決して、権威や権力の前に頭を垂れるのではありません。
一人の人間としての、その立ち振る舞い、その人となりから滲み出るその人のスピリチュアルな面に触れた時、何故だか意味もなく自然に頭を垂れ、感激し、涙するのでしょう。
「平成」時代の象徴天皇・皇后が、私たち日本国民に暗黙のうちに伝え継承を願われたものは、私たち一人ひとりが、自身の内に精神性の気高さを自分自身の考えとして育て、慣例に準ずることのみを良しとするのではなく、他者の評価に惑わされず、自身の目指す崇高な生き方を行じ、それぞれの人生を、その人として生き抜いていくことではないだろうかと考えています。
今のこの時代に日本に生まれていて誇らしい気持ちがしています。日本人の民族性は独特かもしれませんが、私は日本人で良かったと心から思っています。
すぐお隣の国から、ずっととやかく言われていますが、日本人として毅然としていたいです。政治と国民性は関係しているかもしれませんが人間として存在したいです。