言葉はただの音ではないから…

言葉は、単なる単語を超えて人の胸を打つ。
仕草は、それをも増して人の心に感動を生む。

言葉は、単なる音の羅列ではない。
だから、、、、、
安倍の言葉は何故空々しく、人の心に届かないのか?
質の低い政治屋の言葉、役人の発言は、どうして人の胸を打たないのか?
まさしく、それは美辞麗句を羅列しただけの薄っぺらい言葉だからに他ならない。

「言葉」には、それを語る人の人間性が、単語を超えてそこに含まれるからではないはと感じている。

ひとりの人間のその生き方、生き様、日々の姿勢が言葉の奥に深く沈んでいる。

アスリートが発する瞬間の言葉には、それまでの苦悩と努力がその選手の言葉と共に爆発するから、私たちは涙するし、感動し、勇気さえ与えられる。

言葉も仕草も、その人を通して映し出される表現は、その人そのものに他ならない。

跪いたからと言って、頭を下げたからと言って、そんなことで権威は落ちたりしない。

権力、権威をかさに着て偉ぶっている態度の方が、遥かにみっともなくて、哀れさえ誘う。

今ちょうど、雅子皇后が車窓から笑顔で手を振られている。
これから即位後朝見の儀に臨まれるわけだが、
雅子様のこれまでの心中に思いを寄せる時、
込み上げてくるものがあり、私は泣いてしまった。
今日の雅子様を祝福するかのような日差しが新緑を輝かしている。

今後また、様々な場面で平成皇后と比べられて心無い人たちからとやかく言われることもあるのだろうが、私たちが他者と比べられることが辛いのであるならば、私たちもまた、令和皇后を令和皇后として、ありのままを受け止めながら、これからの時代を私たちも共に作っていかなければならないと心している。

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