仮に望まれず生まれた身であったとしても
昨今、獣にも劣る親と呼ばれし者による幼い子に対する虐待が目に余る。
多種多様な虐待とおぼしき環境下で幼児期・青年期を過ごし成人し、自らが再び虐待加害者に成っている、と言う厳しい現実もある。
そうではないまでも、自分は本当に望まれて生まれてきたのだろうか?と、誰にも言えない不安な疑問を胸の内に抱えながら生きる時、それは無意識的にもその人自身の自己肯定感を根源的なところで脅かす。
しかし、『「わたし」が確かに今ここに居る!』というこの事実こそが、
私の命は、生まれること、生きることを許された存在であることの証であると考える。
「生命」は、この世に送り出された瞬間から他者の支えを受けながら、自己確立に向けて生きて行く人生という旅路に迎えられることとなる。
旅路は既にそこに在り、必要な物はほぼ用意されているはずなのだが…。
余りにも未熟にこの世に送り出される私たち人間は、他者の支援を受けなければ生きていけない存在であることも確かだ。
だが、それが実の親でなければならない必然性はない。
わが命と引き換えに出産直後他界する母もある。
戦乱の時代や災害、事故、理不尽な状況のもと幼少時に親を失い、親以外の誰か支えられて成人に到る人もいる。
その誰もが、生きることを許され、自身の人生に受け入れられている一人ひとりだ。
仮に自分は親に愛されていないと感じることがあったとしても、更には、はっきり親から「お前さえいなければ…」と言われたことがあったとしても、親よりも大きな…命の循環を根源から司る膨大なエネルギー体が、何よりもあなたの存在を許しているからこそ人生に望まれて誕生したのだ。
その中で、私はわたしとしてどう生きるのか?!
どのように自分を処し「自分」を作り上げるのか?
それこそが「私自身」が私として生まれ育って来た、また、育てて行く意味であろうと考えている。
今は、天を父に、地を母に。
この体こそが私。
信じて慈しむ。
ありがとうございました!
みかんさん、コミュニティへのご参加ありがとうございます。
最近特に子育て中のお母さんたちの中に、子供に対してイライラする。
子育てに協力的でない夫に腹が立って、すぐキレる。
子供がかわいく思えない。
よくよく考えたら私自身が親から大事に扱われていなかった気がする。。。等々…。
私って何なんだろう?って苦しくなって、辛くなって、使い捨ての消耗品みたいな気がするんですけど。。。って人が増えている感じを受けます。
そうした感情を抱いているのは「あなた」だけではないこと!!を、お伝えしたかったことが、この書き込みをした一つの理由でもあります。