大半の日本人は賢い⁈??
昨今の社会状況に鑑み、暫く休講にしていたエンカウンターを今日は久々に実施しました。
語られることは新型コロナウイルスに関することが多かったように感じました。
その席で「それでも、やっぱり日本人は賢いですよね。」
「日本人の一人一人がそれぞれに賢いから、日本はこれで何とか抑えられてるんじゃないですか。」
「当然、中にはとんでもない人もいるし、政治家は論外ですが…。」
。。。…などの声があがっていました。
正直、私もそう感じます。
良い悪いは別として、私たち日本人は幼少期より多くの規範、規制、ルールの中で育ってきました。
近年でこそ、個人尊重…なんて、…そのことでまた逆に、新たな問題を生み出していますが。
長年この国では、義務教育と云う独特な学校教育の管理体制の環境下で、たくさんの校則に縛られながら、多くの日本人は小・中・高と自我形成、自己確立を無意識に行ってきた経緯があります。
決められた時刻に登校する。登校班で仲良く並んで登校する。
チャイムが鳴ったら起立する。先生には礼を尽くし、会釈をし、授業中は着席。
日直当番は日替わりに自分の役割を果たす。
時間割通りの授業を受け、夏休みには全国民が全国各津々浦々でラジオ体操をする。
知ってか知らずか無意識のうちに日本の子供たち(当然私も含まれます)は、こうやって成人になったのです。そうした人間作りのシステムは、戦後からだけでも75年以上も続けられてきました。
良くも悪くも私たち日本人には、上から言われる言葉に対し若干の抵抗感を抱きながらも、従ってしまう人が多く、他者の目を気にしながら他人に迷惑をかけないことを良しと考える傾向の強い特質を持っているのだろうと考えます。
だからこそ、平時に準備を怠り、何一つまともな方針の発せられない政治屋の基に在っても、
日本人としての各人独り一人が、自分を守るための行動を取り、強制されなくても自粛行動が出来たのではないでしょうか。
しかし、優秀な国民の上に胡坐をかいていてはいけません。
政治屋は、今回初めてといっていいくらい仕事してるんじゃないですか。
トンチンカンで、ちぐはぐな事しか出来ない多くの政治屋さんたちですが、初めてまともに働いてる姿を少しだけ見ることが出来ました。
一部の政治屋の表情にはヤツレタ感も見受けられますが、当たり前です!! そんなこと!!
しっかり仕事してくださいよ! 高い給料払ってるんですから!
そして、やっぱり隠し切れないで出てきましたね。
例の森友問題。
平気で人を自殺に追いやる輩が、国のトップに居座る続ける国って、ダメでしょ!
日本人は、本当の意味で賢くならなければなりません。
黙って我慢ばかりして諦めていたのでは、賢者とは言えないと私は考えますが、如何でしょうか。