無意識を見る2種のスタンス

日常の多くの場面で私たちは無意識のことは殆ど意識していません。
もっとも、意識していないからこそ無意識と言うわけですが。
しかしながら実際には、無意識は私たちの知らないところで色々な働きかけをしています。

私たちは普段、あたかも自分で考え、自分で判断し、取捨選択しながら暮らしていると、
当然のように思いこんでいるかも知れません。

フロイトの精神分析、その流れを受けたTAの分析を軸に、個人的無意識に焦点を当てて
カウンセリングを進めるゲシュタルト療法では、「現在、今ここ」に生じる問題の根っこを
その個人の成育歴に抱える未完了な課題として、主には幼時・学童・思春期体験の中に探ります。

これに対して、ユングの掲げる集合的無意識では元型という考え方を用いてそれを見ようとします。
同じ無意識を扱うにしても、
フロイトが、結果として生じている現在の問題から遡って原因を探ろうとするアプローチと、
ユング的考え方の、「現在の問題の中に目的を探る」スタンスは、
一口に扱う無意識と言えども、似て非なるものがあります。
すなわち、
過去のどのような積み残し課題が、今の状態を引き起こしたのかというフロイトと、
今のこの問題はどんな目的を持っているのか、心は何処へ向かおうとしているのか、
という点に注目するユング。
どちらが優れているとか、劣っているとか、
どちらが正解かなんてことではありません。
ただ、無意識には、ザックリ大きく分けても
「今」立っている自分自身の状況下に
フロイトの因果論的考え方とユングの目的論的視座の
2種類のスタンスがあるということです。
いずれにしても、
行動化する自分の行為は、何がしかの無意識のエネルギーに影響を受けていることは確かです。

「無意識」について学ぶことは、より成熟した人間に向かうにあたっては、
非常に奥深いテーマとして、
何より、人生を豊潤に生きて行こうとする上においては、重要なことだろうと考えています。

    One thought on “無意識を見る2種のスタンス

    1. へそまがりのミー より:

      先生、ご無沙汰しています。
      先生の今日のブログをとても興味深く読ませていただきました。
      私は先生が仰るように、人生を豊潤に生きていきたいと願っています。
      そしてそのための学びはずっと続いていくものだと思っています。
      育成講座でそういったことをテーマに開催される予定はありますか?

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