コロナ禍で生み出される「うつ」的症状に対して

不要不急の外出は控えましょう。
直接的に人に会わないように、可能な限りオンラインで。
会話中にはマスクを外さないで。
食事中は会話を控えて、黙って食べてさっさとマスクを付けましょう。

可能な限り 自粛。自粛。自粛。
ウィルスの感染より、孤立していく不安感に落ち込んでいく人が増え始めた。
生身の人と触れ合えない。
会いたい人に会えない。
会っておしゃべりできない。

既に独り暮らし世帯が、複数同居世帯を上回る日本において、
先の見えないまま続く自粛生活は、孤立感と寂しさ、もし何かあったら…と思うと、
大きな不安が押し寄せるという。
そんな独り暮らしの人が増えている。

自分以外の人間が、「今、ここ」に居ない。
テレビから垂れ流されるのは、どうでもいい話ばかり。

自分の頭の中で拡張していく自らのマイナス妄想が、自分を押し潰す。

私は現在、個別に繋がるラインとは別に、
それぞれに区別した10個のグループラインを持っている。
フェイスブックやインスタは不特定の方々に一方的に発信するだけなので控えている。
そうではなくて、元々縁ある人たちの繋がりのラインでの交流を大事にしている。

既読だけで、全く返信のない人もたくさんある。
でも、既読の数でグループの人たちに届いたことは確認できる。

先日の大雪の中、独り暮らしの方の安否が気にかかったこともあって、
グループラインを活用した。
都会に出た子供たちが、コロナのせいもあり帰郷できなかったが、
積雪対策は近所の人や、自衛隊のお陰で、「何とか生きてる」と、
返信があった。 ホッとした。
私からのラインを受け、思いもかけないことだったので、とても嬉しかったと、
喜びとお礼の絵文字がたくさん書かれていた。

現実と向き合う、ということは、そもそもが至難の技かもしれない。

フッサールの提示した「現実」の知覚。

デカルトの云う「感覚」に疑を問いかけたその「現実」とは・・・。

心理学をベースに展開するカウンセリングの根底には、

素地となるべき哲学が生き続けている。

それを学び受けた者として、私は、
私として現実と向き合い、今と言う時代に共生する者たち同士として、
私にできるコト、私からの差し出せるものを、惜しみなく行っていきたい。
コロナは別次元の新たな問題を提示し続け、
繋がりを絶たれる中で、「うつ」~「孤独死」「孤立し」「自殺」など、

今まで隠されてきたこれ迄の社会の深い闇を焙り出し始めている。

それでも、私たちは私たちの持ちうる智慧と努力と行動によって、
乗り越えなければならないと強く信じている。
「現実を直視」していない。
何を見、何を聴き、何を感じているのか。
何を考えているのか。
・・・?・・・

・・・わからない・・・。

税金泥棒の政治屋なんかには頼っていられない。

    2 thoughts on “コロナ禍で生み出される「うつ」的症状に対して

    1. bababachann より:

      コロナのせいで自粛生活が続き、うつうつとして暮らしています。
      機械的な3食とおやつと飲み物、そしてTVと炬燵・・・だらだらと過ごしています。
      何もしない、したくない。
      これをくだらない怠惰な人生と思うか
      「今、自分の頭で考え、呼吸して、手や足を動かしている」と穏やかな時間を過ごしていると思えるか
       一筋の繋がり中で 思考は変化するように思います。
      暮らしを良いものにするか、辛いものにするか 
       出会った良い機会を自分の考え(気づき)にできるかどうかは自分次第と思います。

    2. soul より:

      bababachann  sama
      一生の内にはいろんな日がありますよね。
      コロナ禍での「今」も、そんなうちの一つなんでしょう…きっと。
      そしてそれは、私だけじゃなく、あなただけでもなく、世界中の人々に、です。
      コロナの名前を初めて耳にしてから一年が過ぎました。まだまだ今年一年は諦めと覚悟が要りそうです。
      独りきりで籠りを続けている人には、コロナ明けにまた新たな試練が来そうですが、何があっても人間には秘められた力があることも確かです。( ^ω^)…また、お便りください。  Mamiko

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