老熟を知る時「老い」は幸いとなる
1999年にスタートさせた”HCCコミュニティひろば” は、
私の自由なペースで勝手気ままに書き込みさせていただいているものですが、
私がお目に掛かったこともない方、訪ねたこともない地域の方から、
この「コミュニティ欄を楽しみにしています」とのお声をいただくことがあります。
「なかなかカウンセリングは受けられないけれど、コミュニティ欄を読んで、
今の自分にぴったりだと感じ胸が熱くなる時があります。」
「コミュニティ欄のことばが、自分に向けて書かれたものかと思うほどピッタリ来て、
泣いたり笑ったりして元気をもらっています。」などなど、、、。
( ^ω^)・・・そうしたお声を頂いた時、発信者からの一方通行ではない、
心のやり取りが実感できて、
私にとってはコミュニティ欄に書き込む強い励みになっています。
1999年、何が何だか分からないままに、頭から煙を出すような取り組みで、
私は生まれて初めて自分のホームページを立ち上げました。
私も若干40代、まだまだ若々しい活力にあふれていた時代です。
更新のたびに、膨大な時間を使っていた時期もありました。
あれから22年が経ちました。
これまでの時間が長かったのか、短かったのか、
子育てを始めとして家族にかかわる様々なこと、父を看取り、認知症の母と共に暮らし、
親戚の問題を引き受け…、それでも諦めることなく続けた努力と勉強と仕事は、
負担であると同時に、たくさんの喜びも与えてくれ、私を支えてもくれました。
これまでの全てが、私を育ててくれました。
これまでの全ての過去が、私のこの身体の中に常に私と共に在り、
今も私を育て続け応援し続けてくれていることを感じ取っています。
人は誰でも年を取ります。
老いていくことは摂理であり、老いていけることは幸いでもあります。
だからこそ、「老いていく」ことの意義を見つめる必要性を感じています。
マズローの言う人間の欲求段階説に見る一般的な承認欲求を超えて、
更に望む人間に潜む多くの煩悩や強欲さの一つに地位・名誉・権力がありますが、
それらを手放すことが出来難いうちは、まだ健康である証拠だとも言われています。
最後の最後に執着するのは「いのち」「生きたい」…、ということのようですから。
自分はしがみつくのに他人の「いのち」は踏みにじる人たちです。
現に、「命は金で買えるんだよ!」と豪語している権力者は結構いますよ。
これ、マジでそう考えているとしたら、もう何も申し上げる言葉がありません。
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2019年8月付で書き込みした過去のコミュニティ欄から…抜粋しました。
『高齢になっても様々な場面で未熟なままの人がいる。。。』
自分自身に焦点を当てたまま、時をやり過ごし高齢者となる人。
それでは共感は得られないし、コミュニティはそうした人を避ける。
彼らは他人に心を開くことが出来ないし、他人の心を思いやりはしない。
彼らの多くは、人生の早い段階でもたらされた怒りや難しい感情にこだわっている。
そういう人は、経験をしたにもかかわらず、成長しない。
誕生日を迎えているのに、老熟することがない。
。。。と、まぁ、
こうしたテーマを軸に結構辛辣な文脈でテンポ良く筆を走らせた
『老いること』が、今回の輪読エンカウンターの選書である。
毎回楽しく充実して開催している毎金曜日13時開始の輪読エンカウンター。
ここで言う「老いる」は、
すなわち「成長(成熟)していく」ことを指しているのではないかと考えながら、
参加者の人たちと共に読み進め、エンカウンターよろしく話を広げたり、
深めたり自由闊達に気づきの輪を展開させている。
人はすべからく「誕生」と同時に「老い」に向かう。
それは、ただひたすら『老い』という「成熟」を目指しての旅、、、かも知れない。
ご参加をお待ちしています。 ファシリテーター:馬屋原眞美子
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政治の世界の留まらず、世界中のさまざまな職域の中で、
成熟することを忘れた独善的な権力者が、
多くの人々の人生を踏みにじっている現代社会の構図。
何十億もの人々の悲しみとうめき、苦しみと叫びの声が聴こえてきます。
何処からどのように手を付けていけばいいのか分からない今の世の中ですが。。。
。。。。。
それでも春は一足ずつ近づいて、日没時刻もずいぶん遅くなりました。