「ことば」について(4)
「ことば」の使い方は大事です。
時と場面に応じては、想定以上の反応が示され周囲への影響も大きくなります。
昨今、各種のメディアを始め一般社会に於いて『「ことば」狩り』とも感じられる
発言への揚げ足取りは、目に余る状況だと受け止めています。
発言する機会の多い人ほど、失言することも多いことでしょう。
人が発する「ことば」は、ただ単に使用しているその言葉・単語を超えて、
様々なものを伝えます。
受け手である聞き手(受信者)によって、その「ことば」は異なる響きを持ちます。
しかしながら、
注視すべきは語り手(発信者)の用いる「ことば」に隠れて、
その人が平素抱いている価値観、考え方、生き方、他者への眼差しが、
微妙に、更には如実に表れてしまうことです。
ここが一番のポイントではないでしょうか。
東京オリ・パラ組織委員会の森喜朗会長の女性蔑視発言などで
進退を巡る議論に発展しているようですが、
世界中をこれ程の混乱に陥れている現在は、
開催の可否を判断しなければならないタイムリミット限界の
ギリギリに近づいてしまっている今この時だからより厄介なのでしょう。
戦後復興の象徴として国民が一団となって歓喜した前回1964年の東京オリンピックは、
当時小学生だった私の記憶に、今もしっかり残っています。
しかし、オリンピックそのものが、いつしか利益経済に利用されるようになり、
オリ・パラ五輪と新たな位置づけをされたとしても、
スポーツを通じて平和な状態を垣間見、
純粋にスポーツを楽しむことから気持ちが少しずつ冷めていくのは、
何故なのでしょうか。
継承していく。
引き継いで守っていく。。。
本当に必要なものであれば、
それは時勢に変化適応させながらも大事にされ、生き残ることでしょう。
遺さなければならないものは、確かにあると考えています。
諸行無常がこの世の掟であるならば、遺すもの、守るものは、
「形」ではなく、そこに宿す「精神」こそだろうと考えます。
そこに宿る「精神」が崇高であれば、必然的に残るでしょうし、
その人の「精神」こそが、その人を通して「ことば」として、
行いとして、立ち振る舞いの端々に漏れ零れるはずですから。
政治屋や無能な権力者たちの「ことば」、
行動、発言、表情の一つ一つは、
単に揚げ足取りの一反を担っているのではなく、
彼らの生きざま、人間性が如実に表れているからこそ、
それを感じ取る受信者の多くの人たちが、反旗を翻していることに
当の本人たちは、未だもって気づいていません。
だから、間違ったことばを発言をしないという表層部分にばかり拘って
誰かに書いて貰った原稿を読み続けるのです。
それでも、それは本人の「ことば」ではないので、
受信者である私たちの心には残念ながら届きません。
この国を支えているのは、
納税者である私たち国民です。
勤勉な国民のお陰で、生産性も無く、
恐らく他の現場では働くことさえ叶わないであろう政治屋ばかりが、
このように優遇され、潤うようになったのは何故でしょう。
戦後最も安泰に、安定的な成長株に乗っかってボーっと平時な時代の
旨味を吸ってきたのは無能な政治屋家業の人たちです。
今後、コロナ感染と並行的に生じてくるであろう多くの
自然災害や、老朽化を迎えた公共施設、道路、高速架橋、トンネル、橋、下水道インフラ。
引き続き波を繰り返すであろうパンデミックに対する科学的な裏付けによる対策。
予期出来る災害対策に予防的に税金を使っていただきたい。
私たちは国会議員、政治屋を養うために
納税しているのではありません。
このたびの給付金だって、
政治屋から恵んでもらっているわけではないのです。
無駄な支出として、参議院解体!
「参議院議員」の方々には早々にお引き取りいただき、
国家国民の為、納税者として是非とも「労働」願いたいものです。