必要な人に届き難い 現実
桜が散ると藤の花が美しく咲き誇り、季節の移り行きを伝えてくれます。
朝日が昇り、夕陽が沈み、空の色は時々刻々変化を見せてくれます。
夜空の月光は、日々に変化する姿を映しだし、心を穏やかに沈めてくれます。
自然を眺め味わう機会は、全ての人に等しく与えられているにも拘らず、
何故か…?必要な人に届かないものもたくさんあります。
本当に必要な人に届き難いものの一つに「カウンセリング」もあるような気がしています。
残念ですが、この現実は確かだろうと感じています。
そんなに苦しまなくてもいいのに。
そんなに自分を卑下しなくてもいいのに。
厚い厚い壁を作って、自分でシャッター下ろして、閉じこもったきり。
お金がないからカウンセリングが受けられない。
お金がないから幸せになれない。
お金がないから…ずっと我慢だけし続けている。。。
お金がないから…諦めている。
本当に、ほんとうに、そうなんでしょうか???
哲学を発端に宗教学に関心を持ち、心理学からカウンセリング学への変遷を経て、
私は今、カウンセラー、セラピストとしての資格を得、それに関わる仕事をしています。
カウンセラーになるために投資する時間と金額は高額なものになります。
その為でしょうか???
カウンセリング料金は決して安価とは言えないかもしれません。
高価だから良いとは言い切れませんが、タダ(無料)には異質の問題が含まれます。
私はこれ迄に行政を始め、他の諸機関等から無料カウンセリングの依頼を受けて、
10年近く無料の個人カウンセリングをさせて頂いて来た経験があります。
その間、正直心の片隅に常によぎっていた ⁇ 疑問 ⁇ は消えないままでした。
今なら、それは…、そうではなかったのだ、そうだったのだと、わかります。
コロナ感染拡大の中で、
仕事を失った人たち、家にこもりっきりの人たち。。。。。
独りになり孤立感を強め、疎外感さえ抱いている人たち。。。。。
自分を責め、希望なんてとっくに失くした人たち。。。。。
リモートカウンセリングをしようにも環境整備も無い人たち。。。。。
「カウンセリング」を届けたい…
自然の風は誰にも等しく届くのに、必要な人に届き難いものがある現実は
本当に辛くて、哀しくて、やりきれない思いです。