人間って…人の成長って…何でしょう¿⁇

心身一如。メンタル&フィジカル。精神と物質。
呼び名がどうであれ、私たち人間が、
見えるものと見えないけれど確かにあるものとして存在していることは事実だとしても。
。。。。。。人は歳を重ねる中で様々な経験をします。
その経験を支えに多様な考え方ができるようになる・・・というのは、
これは迷信に近いことかも知れません。
なぜなら、人は自分自身の過去の記憶を都合よく組み替えていくからです。
自分の歴史は、確証バイアスと合理化と言う思考のもとで、
自分に都合のよいストーリーとして作り出されていくことがが多いからです。

2019年8月付で書き込みした過去のコミュニティ欄から…
一部を抜粋してみました。

高齢になっても様々な場面で未熟なままの人がいる。。。

自分自身に焦点を当てたまま、時をやり過ごし高齢者となる人。
それでは共感は得られないし、コミュニティはそうした人を避ける。
彼らは他人に心を開くことが出来ないし、他人の心を思いやりはしない。
彼らの多くは、人生の早い段階でもたらされた怒りや難しい感情にこだわっている。
そういう人は、経験をしたにもかかわらず、成長しない。
誕生日を迎えているのに、老熟することがない。

日常の多くの場面で私たちは無意識のことは殆ど意識していません。
もっとも、意識していないからこそ無意識と言うわけですが。
しかしながら実際には、無意識は私たちの知らないところで色々な働きかけをしています。

私たちは普段、あたかも自分で考え、自分で判断し、取捨選択しながら暮らしていると、
当然のように思いこんでいるかも知れません。

フロイトの精神分析、その流れを受けたTAの分析を軸に、個人的無意識に焦点を当てて
カウンセリングを進めるゲシュタルト療法では、「現在、今ここ」に生じる問題の根っこを
その個人の成育歴に抱える未完了な課題として、主には幼時・学童・思春期体験の中に探ります。

これに対して、ユングの掲げる集合的無意識では元型という考え方を用いてそれを見ようとします。
同じ無意識を扱うにしても、
フロイトが、結果として生じている現在の問題から遡って原因を探ろうとするアプローチと、
ユング的考え方の、「現在の問題の中に目的を探る」スタンスは、
一口に扱う無意識と言えども、似て非なるものがあります。
すなわち、
過去のどのような積み残し課題が、今の状態を引き起こしたのかというフロイトと、
今のこの問題はどんな目的を持っているのか、心は何処へ向かおうとしているのか、
という点に注目するユング。
どちらが優れているとか、劣っているとか、
どちらが正解かなんてことではありません。
ただ、無意識には、ザックリ大きく分けても
「今」立っている自分自身の状況下に
フロイトの因果論的考え方とユングの目的論的視座の
2種類のスタンスがあるということです。
いずれにしても、
行動化する自分の行為は、何がしかの無意識のエネルギーに影響を受けていることは確かです。

「無意識」について学ぶことは、より成熟した人間に向かうにあたっては、
非常に奥深いテーマとして、
何より、人生を豊潤に生きて行こうとする人にとっては、重要なことだろうと考えています。

毎週金曜日13時から開始の輪読エンカウンター。
毎回、楽しく充実のうちに展開させています。
今日も開催しました。
今は引き続き、難解なクリシュナムルティに取り組んでいます。

人はすべからく「誕生」と同時に「老い」に向かいます。
避けられない現実の掟です。

しかし、それは同時に、精神的成長変化を求める人々にとって、
ただひたすら『老い』という「成熟」を目指しての
豊かで楽しい希望に満ちた旅
、、、かも知れません。

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