心の学問の進むべき方向は
多様性が声高に求められ、膨大な価値観を我こそはとばかりに叫び、
良く分からないままに中途半端な正当化が、ゴリ押しされて行く時代にあって、
人々の行動化の背景に沈むものは、世界各国で増々見え難くなって来ているようです。
心理学(psychology)は、
語源をギリシャ語のサイコ(心)とロゴス(理)の合成語として誕生し、
魂、霊、心…などと称される、在るか無いか定かではないけれども、
無いとは言い切れないものを探求する学問として
肉体(physical)に対して魂、精神、心を探究する学問として発祥したはずでした。
ところが、ある時点、
19世紀後半あたりから台頭し始めた「科学的根拠」なるものにより、
心理学の世界にも客観性、科学的論拠となる数値化されたものを求める風潮が広まり、
科学的根拠と称して、心も数値化できるはずだとばかりに
実証科学としての地位を確立するまでに到ります。
その挙句、それ以降、
表面的な表層部心情と行動化を紐づける限定された研究が進み、
データで可視化する心理テストなるものが様々に生み出されてきました。
しかし、
精神または心に関する人間の精神生活の具体的法則性を
科学的にのみ理解するには限界があります。
眼には見えないけれども無いとは言い切れない
人間の身体の底から突き動かすエネルギーを探ろうとする時、
数値化、データ化に、頼り過ぎるには無理があります。
「心理学」のその基礎は「哲学」に支えられています。
表面的な情報に流され、
何でもかんでもお金、経済、金融に右往左往し、
一喜一憂を繰り返す日常で、
多くの人が、自らの「哲学」を求めることさえ見失っているように
見受けられます。
心理学が自然科学的な枠組みに囚われ続けている限り、
心のホンの一部しか探索出来ないままに今日に到っているように感じます。
こうした心理学の欠点を
補完するために誕生した「人間性心理学」。
中でも「ユング心理学」や
「トランスパーソナル心理学」は、
単なる数値化に留まらず、心の側面を質的に研究しようと試みています。
しかしながら、何時の時代の、どのジャンルにおいても、
それらを妨げるのは、従来通りの思考回路から脱しようとしない、
同業界の権威主義体質、権威主義体制だと、感じないではいられません。
「心の学問」の向かうべき方向に、幾らかでも希望の光が見える時、
人間は、すべからく、
真の意味で多様性を受け入れられる社会環境に近づけるのかも知れません。
「心の学問」の発展と可能性を大いに期待して止みません。