私に与えられた時間は私次第。。。

誰かが人為的に沈黙の世界を招こうとしたのでなく、
それは私たちの中にある日いきなりやって来た。

不意を突いてやって来た
未知の新型コロナウィルスの侵略とも言える攻撃を受けた私たち人類。
人流制限が発令され、触れ合うことを禁じられ、交流の手立てさえ制約を受けた。

沈黙、黙食の推進によって楽しく過ごす時間は少なくなった。
私たちは他者との距離を保つことを余儀なくされ、いまだにずっと続いている。
パンデミックは、いとも容易く私達の日常を奪ってしまった。
費やされた時間は既に2年以上であり、この先の見通しも立っていない。

否応なしに投げ出されたパンデミックなこの環境下で、
「独特の沈黙」の時間を持つと言う強制的な空気間に、
私は、これまでに味わったことのない精神的な抑うつ感に見舞われた。

   避けて通れない人生のプロセスの中で、
私に与えられた私のための時間として、
「留まること」「独特の沈黙」の時間にさえ何かを見つけ出したいと考えた。

   …意外にもそれは素晴らしい気付きを運んでくれた。
半ば強制的に与えられた「独りでいること(他者と触れ合わない)
「独特の沈黙(おしゃべりしない)」…は、
私の中で、徐々に至福の時間となって行った。
「静寂」は、そうそう簡単には得られない時間だが、コロナ禍のお陰で、
私は私に出会うための時間をたくさん持つことが出来た。

いつ、どこで、どのような時間が与えられようとも、
私に与えられた時間が、私のものである以上、
その時間を如何に使うかは、私に任されている。

パンデミックは、他者との関係性の在り方を再認識させ、
一方では他者との繋がりに距離を持たせたかもしれないが、
自分が自分に繋がって行くために、
私が私として、より私に近づいて行けるためには本当に大事な時間だと、
今では、この豊かさに包まれた感さえある静寂な時間に感謝している。

    コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。