主人公だまさるな ‼

どんなものにも限界はあります。
どれ程素晴らしい理論でも、とっておきのアプローチでも。。。

随分以前にも書き込んだことが有りますが、
私が好きな慈雲尊者が書き記した書に
「主人公だまさるな」という語があります。
自らが自らに「主人公」と呼びかけ、
「騙されてはいないか、騙されるなよ」と
日々問いかけるものです。
それは、他者からの騙されではなく、自分自身のこととして、
自問自答することを指しています。

結局、何が言いたいのかといえば、
主語のない「気づき」こそが、
「ありのままを見る」ことに通ずるのではないかと。
…そう言いたいわけです。

逆説的に言えば、そこに「自分(自我)」がある限り、
意識人格が見、聞き、思考する限り、
「あるがまま」を受け入れるなどと言うことは
不可能に近いのではないかということです。

まるで禅問答のように聞こえるかも知れませんが、
自分(私・自我)という実体こそが、果たして存在しうるのかと考える時、
実体すると思い込んでいる「自分」流の思考や感情の上に立って行う「気づき」は、
所詮、その枠組みの中での解釈に過ぎないような気がします。
そんな枠組みで、どうにか相手を理解しようとしても無理なのではないかと、
・・・・・、この度のプーチン大統領を観察する時、
何処の国の何処の誰もが、自国優先、自己保身を片方に持ったまま、
交渉したり戦略を立てても、そこに主語(自国)がある限り困難を極めるでしょう。

本当の愛は、本物の愛は、尊いと言われていますが、
私たちの多くは、本物の愛を知りません。
愛と呼んでいたものは、何処かの瞬間に執着となり、頑なで身勝手な自我の思想にすり替えられます。

プーチンは、自分が誰よりもロシアを愛していると思い込んでいたことでしょう。
例え、今この時代に理解してくれる人が少なかったとしても、
強く輝かしいロシアを創り上げれば、人々の賞賛は必ず自分に向けられるだろうと。

プーチンが愛し理想としたロシアは、彼独自の価値観に固められたロシアであり、
実体のない彼の脳の中で作り上げられた、言ってしまえば身勝手な理想です。
その結果、
自分の愛していた(錯覚と思い込みですが…)ロシアを、
プーチンは他の誰でもない自分自身の手で破壊してしまったのです。

私たちが思い込んでいる「自分」は、実体のない危うい存在です。
「自分」が居ても居なくても世界は回っていきます。
動く世界を見ることの出来る「自分」という存在が、
「自分」とそれ以外との関わり方を、
「気づく(見る)」と言う行為で進めようとするには、
先ずは不確かな「自分」を疑い、
自分に騙されないようにすることが大事だと、最近つくづく実感しています。

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